筋トレしかしてないおしいれブログ

押し入れデスクからのつぶやき

インドに行き強制送還された

 

 

海外旅行へ行くのに待ち遠しい人は僕だけでは無いはず

 

振り返れば6年前20歳になり成人式を3ヶ月前に控えた僕は会社を辞め

バックパックを背負い10月初めにインドネシアのバリ島へと降り立った。

 

 

インドネシアシンガポール→マレーシア→タイ→

カンボジアラオススリランカ→インド

 

8カ国を3ヶ月で旅をする壮大なストーリーになるはずだった。

 

インドまでの内容は後日記載する予定。

 

 

2014年11年27日にインドにあるチェンナイへ。

チェンナイには有名なマリーナ・ビーチがあるが殆どが地元客のみだった。

 

足早早々にインド最南端にある街カンニヤークマリという街へ深夜列車で向かうのだが

 

当時の僕は英語も分からず単語を繋げて話せれるのがやっとだった。

チケットを購入したのだが、どのクラスを選んだのかが分からない。

 

実に致命傷でありいいカモだった。

 

結局、最低ランクの座席がないタイプ。

僕は通路に座り夜9時から朝の朝6時まで起きて荷物を見張っていた。

 

お尻は冷たく、睡魔にも襲われただひたすら朝が来て街へと着くのを待っていた。

 

 

 

カンニヤークマリはインド洋と太平洋が両方観れるスポットとしてはかなり有名なはずが観光客は僕を入れて3組しかいない

 

しかも、WIFIが無い。。。。。

どうなっているんだ。

ここからストレスが半端ない。

 

 

気分転換に夕方夕日を見に行くも大雨。

ここまで最高にインドとの相性が悪い。

 

 

一応、3泊予定なのでチャンスはまだある。

 

 

 

結果3日間大雨であった。大惨敗。。。。

これも僕の運が無かったと言い聞かせる。

 

食べ物はガラスケースに入ったパンが直置きされており上に沢山のハエが止まっていた。何を食べれば良いのか分からずひたすらに3食オレオを食べていた。

オレオしか選択肢が無かったはけでは無い。一番マシだったからだ。

 

カンニヤークマリからゴアへ。

当時ゴアでは10年に1度日本にキリスト教を広めたフランシスコ・ザビエルのミイラが公開されていたのである。特にすることもない。

 

ゴアを出てムンバイへ。

金融ビルが立ち並び反対側にはスラム街が広がってドービー・ガードと言われる巨大洗濯場があり映画にもなっている印象的な街だ。

 

 

 

僕は適当に観光を済ませムンバイを満喫していた。

これまでの印象とは違いビジネスマンが忙しなく働いてる印象だった。

 

 

2泊した後僕はジャイプルを目指すためにひとまずアフマダーバードを目指した。

アフマダーバードまでは深夜バスを選択しターミナルでバスチケットを購入。

 

スタッフのおじさんが「どこからきたの?ひとり?ご飯はどうする?ここがおすすめだよ!」と親切に話しかけてくれてそのお店まで案内してくれテイクアウトをしバスに乗り込む。

 

 

バスの中でカレーを食べ眠りにつく。

朝起きればアフマダーバードに着くはずだった。。。。

 

 

寝ている中足元でゴソゴソしているのに違和感を覚えましたが起きれず

そのまま朝を迎えることに。

 

起きるとバックパックスマホiPad、靴、サンダル、財布と服ほぼ全てなくなっていた。

 

あー、あるある映画でこういうのあるよねって感じです。

いやそんな余裕なんてなっかた。

 

手元にあるのはパスポート、インド通過で2000円弱、マウンテンパーカーとインドのガイドブックのみ。

 

 

大絶望と共に生きねばという複雑な気持ちが入り混じっていた。

 

終わった。。。。

 

バスを降りるも僕の荷物を持っている人物はもちろん見つからず。

体調がかなり悪っかたためなけなしのお金でタクシーを捕まえガイドブックに載っているホテルまで乗せてもらうことに。

 

ホテルにつきお金を払うもタクシー運転手にお釣りを返してもらえず。。。

ここで一気に怒鳴り散らし日本語でインド人に対して

 

「ふざけんじゃねー!てめー!!!!!」

 

 

と瞬く間に30人ぐらいに囲まれ始める。

 

あ、、、死んだ 

全く走馬灯のようなものは見えずそのまま路上に倒れ意識を失いました。

 

 

ん?????????????

どこ?????????

 

 

起きたら病院のベットの上。

医者によると二日間眠っており大量の睡眠薬だったとのことです。

バスの中で食べたカレーや!!!!

言われてみれば所々記憶が蘇ってくる。。。。

 

鼻に管を通されたり無理矢理トイレに連れてかれ立たされたりなど

辛すぎて叫び大部屋だったのが個部屋に移動になったり。

 

 

病院側が領事館に電話をかけてくれ病院に現地で働いてる日本人を派遣してくれるとのことでした。

その際に言われたのが「貴方はここに滞在する事が不可能に近いので帰国していただきます。」

僕はやらかしてしっまたんだなと。

 

翌日手島さんという方に病院へ来て頂き、

親と電話を繋げてもらい人目を気にせず大泣き。生きているんだなと。

 

残っていたカードで日本行きのチケットを買ってくれたりと帰国するまで

大変お世話になった方です。

 

警察へ行ったり似顔絵を作ったりと中々経験しないことを少しは楽しんでいた気がします。

関わった方々はかなり迷惑だったと思います。ごめんなさい。

 

 

手島さんとお別れをし

帰国する飛行機の中でビール、ワインを大量に頼み爆睡

6時間のフライトが一瞬で終わりあっという間に日本へ。

 

お酒は最高の睡眠導入剤だなと若干20歳にして気づきました。

 

無事帰国し空港では親と再開し帰りのファーストフードで

何故かチキンカレーを注文どんな事があってもカレーは美味い。

 

 

 

このような最悪の旅をしましたが生きていれば全部かすり傷。

 

日本以外でしか経験出来ない体験をできる環境が早く整うと良いですね。

 

 

 

 

 

本日も最後まで読んで頂き有り難うございました。